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太陽ピカピカのこれが気になる!
これは!?と気になるものや自分が試したものなどを気まぐれに書いています。
2014-08-11(Mon)
夢の中に鳳凰と龍が出てきた後、私に起こったこと
数日中に更新しようと思っていたのにまた1ヶ月以上経ってました。
とりあえず書こう書こうと思っていたことをつらつらと書いていこうかなと思います。
8年間同棲していた彼とは去年の10月にやっと入籍しました。
まぁ 入籍しても名字が変わっただけで生活は何も変わらなかったんですけど、なんとなく安心感がありましたね。
ただ、うつ病だけじゃなく更年期も入っているのか今年に入ってから以前にも増して気力がなくなっていた私は、2月に入ると家事もほとんど手につかなくなりました。
やたらすぐに眠くなるのと今まで以上にひどい疲労感。。。
ずっと飲んでいた抗うつ剤と更年期用の漢方薬などの薬から違う薬に変更してもらったんですが、飲むと余計にひどくなるので飲むのをやめて次の通院の時にはもとに戻してもらいました。
そして3月はじめの頃に彼がひどい風邪を引いて、それが私にうつってからはひどい咳が止まらず、市販の風邪薬を飲んでも効かない状態のまま、止まらない咳の延長で吐き気までしていて最悪の体調でした。
薬も気持ち悪くて飲めなかったり、飲んでもすぐに吐いたりということがありました。
寝ている時に咳をすると下腹に息をするのも苦しいくらいの刺すような痛みがあって、それが何日も続いていて咳をするたびにものすごく痛むので止められないのに咳をするのが嫌でしかたなく、くしゃみをしても同じように痛くてその刺すような痛みの場所が何か病気になっているんじゃないかと思っていたんですが、その頃にちょうど子宮に関する病気の記事が目について自分に当てはまっているような気がしたんですよね。
子宮の病気かもしれないから産婦人科に行きたいものの、風邪がなかなか治らずひどい咳をするような私がいくと妊婦さんがいた場合に迷惑になるだろうと思って我慢していました。
私が何かひどい病気になった場合、お金がかかるんじゃないかとお金の心配もかなりあったんですが、定期的に彼が宝くじを買ったりしていたんで、それが当たるといいなぁと思っていたんですよ。
その頃にある夢をみました。
私は夜空から落ちてくる大きな流れ星を見ていました。
大きくて明るくて本当にそんなすごい流れ星を見たことがなかったので
感動してみていると、遠くに見える大きな船のさらに向こうに落ちたように
見えました。
そしてその船の後ろで大きな爆発があったような白い放射状の光が見え
ました。
私はどうなったんだろうと不安と興奮の入り混じった気持ちで遠くの船の
向こうの光に目をこらしました。
白い光が薄くゆらゆらと動いているような気がしたところ、それがゆっくり
と何かの形になっていきました。
じっと見ていると白く光る大きな鳳凰の姿に変わっていきました。
すごいすごいといいながら私がさらに目をこらしてみていると、また形が
変わりました。
今度は白く光る大きな龍の姿になりました。
私は何でこんなことが起こっているんだろうと思いながらも、生きている
ようにはっきりと見える大きな龍を唖然としながら見続けることしかできま
せんでした…
目が覚めたとき、鳳凰とか龍とか現実に見ることはないと思いつつも『あれが夢だったなんて』と夢だったことが信じられないくらい夢の内容が頭の中にしっかりと残っていて不思議な気持ちでいました。
もしかしてイイコトがある前兆かも、と思って夢占いを調べたりしていいところだけをこれかな?とか思って参考にしたりした結果、白い龍について意味が色々あったんですが、繁栄っていうのがあって、なんとなくピンとくるような気がして、宝くじが当たるのかもと勝手に思ったりもしていました。
宝くじの当選発表がされた後、当選確認する前に彼に夢の話をして当たってるかもと言っておいたんですが見事外れていましたw
その後も私の風邪はよくならず咳やくしゃみの度に下腹の痛みはひどくなるばかりで、もしかしてひどい病気かもしれないという覚悟をしつつ妊婦さんには悪いけどマスクをして3月末のある日、産婦人科にいくことにしました。
産婦人科での検査前の先生との会話では、風邪と更年期だろうとことだったんですが、内診の結果、判明した衝撃の事実はなんと妊娠4ヶ月に入ったところだということ。
( ̄△ ̄;)エッ・・?
( ̄△ ̄;)エッ・・?
もともと生理不順の上、卵巣機能不全、ホルモン異常などなど言われて、妊娠したかったら通院が必要と言われていた私が妊娠?
もう今年で44歳だというのに妊娠?
今まで8年も避妊せずに彼としてきて妊娠の兆候などもなかった私が妊娠?
つい数日前にも子供ができない話をしていて、お互いにできにくいということで納得していて、どうせ今の世の中に産むのも可愛そうだし、私達2人でいればいいから子供はいらないよという話をしていたのに妊娠?
びっくりしすぎて思考が停止しそうになりながらも、妊娠とは思いもしなかったので風邪薬や抗うつ剤やら漢方とか色々飲んでしまっていたので産婦人科の先生に「風邪薬とか飲んでたんですけど大丈夫でしょうか?」って聞いたら
「そんなの知らないよ~」と返されてしまいました。
病院ではもう4ヶ月に入るので産むか産まないかを次回までに決めてきてくださいと言われるし、なんか色々なことが頭の中でうずまいて、彼が子供はいらないよと言っていたのを思い出してもしかして中絶しないといけないのかとか思って、家についてから自分のお腹に向かって「ごめんねぇ ごめんねぇ」と泣きながら謝っていました。
子供は苦手だと思っていたし、子供がいなくてもいいやと思っていたのに妊娠したと判明したとたん、お腹の子供がこんなに愛おしく思えるとは思わなかったんですよね。
中絶しないといけなくなるかもしれないけど、ものすごく産みたい気持ちが大きくてなんかつらくてしょうがなくて。
なんとか心を落ち着けて彼に報告しないといけないなと思い、不安ながらも彼の仕事場にスカイプチャットで産婦人科に言った話をして、妊娠が判明したことを報告すると中絶とか言われずに産む方向に話が進んだのでものすごくホッとして嬉しさがこみ上げてきました。
私もびっくりしすぎて妊娠が信じられない気持ちが大きかったんですが、彼も相当びっくりしたみたいです。
結局、私が2月3月とひどく体調が悪かったのは風邪も引いてましたが、更年期ではなく(それもあったのかもしれませんが)ツワリが原因でした。
鳳凰と龍が出てきた夢で調べて出てきた繁栄の意味。
金銭的なことだと思っていましたが、子供ができて家族的に繁栄するっていう意味で見た夢だったのかなと彼と後から二人で話し合ってました。
ただその後も高齢で初産での妊娠判明で問題はまだ残っていました。
今日は長く書きすぎて疲れました。
続きはまた今度書いていこうと思います。
とりあえず書こう書こうと思っていたことをつらつらと書いていこうかなと思います。
8年間同棲していた彼とは去年の10月にやっと入籍しました。
まぁ 入籍しても名字が変わっただけで生活は何も変わらなかったんですけど、なんとなく安心感がありましたね。
ただ、うつ病だけじゃなく更年期も入っているのか今年に入ってから以前にも増して気力がなくなっていた私は、2月に入ると家事もほとんど手につかなくなりました。
やたらすぐに眠くなるのと今まで以上にひどい疲労感。。。
ずっと飲んでいた抗うつ剤と更年期用の漢方薬などの薬から違う薬に変更してもらったんですが、飲むと余計にひどくなるので飲むのをやめて次の通院の時にはもとに戻してもらいました。
そして3月はじめの頃に彼がひどい風邪を引いて、それが私にうつってからはひどい咳が止まらず、市販の風邪薬を飲んでも効かない状態のまま、止まらない咳の延長で吐き気までしていて最悪の体調でした。
薬も気持ち悪くて飲めなかったり、飲んでもすぐに吐いたりということがありました。
寝ている時に咳をすると下腹に息をするのも苦しいくらいの刺すような痛みがあって、それが何日も続いていて咳をするたびにものすごく痛むので止められないのに咳をするのが嫌でしかたなく、くしゃみをしても同じように痛くてその刺すような痛みの場所が何か病気になっているんじゃないかと思っていたんですが、その頃にちょうど子宮に関する病気の記事が目について自分に当てはまっているような気がしたんですよね。
子宮の病気かもしれないから産婦人科に行きたいものの、風邪がなかなか治らずひどい咳をするような私がいくと妊婦さんがいた場合に迷惑になるだろうと思って我慢していました。
私が何かひどい病気になった場合、お金がかかるんじゃないかとお金の心配もかなりあったんですが、定期的に彼が宝くじを買ったりしていたんで、それが当たるといいなぁと思っていたんですよ。
その頃にある夢をみました。
私は夜空から落ちてくる大きな流れ星を見ていました。
大きくて明るくて本当にそんなすごい流れ星を見たことがなかったので
感動してみていると、遠くに見える大きな船のさらに向こうに落ちたように
見えました。
そしてその船の後ろで大きな爆発があったような白い放射状の光が見え
ました。
私はどうなったんだろうと不安と興奮の入り混じった気持ちで遠くの船の
向こうの光に目をこらしました。
白い光が薄くゆらゆらと動いているような気がしたところ、それがゆっくり
と何かの形になっていきました。
じっと見ていると白く光る大きな鳳凰の姿に変わっていきました。
すごいすごいといいながら私がさらに目をこらしてみていると、また形が
変わりました。
今度は白く光る大きな龍の姿になりました。
私は何でこんなことが起こっているんだろうと思いながらも、生きている
ようにはっきりと見える大きな龍を唖然としながら見続けることしかできま
せんでした…
目が覚めたとき、鳳凰とか龍とか現実に見ることはないと思いつつも『あれが夢だったなんて』と夢だったことが信じられないくらい夢の内容が頭の中にしっかりと残っていて不思議な気持ちでいました。
もしかしてイイコトがある前兆かも、と思って夢占いを調べたりしていいところだけをこれかな?とか思って参考にしたりした結果、白い龍について意味が色々あったんですが、繁栄っていうのがあって、なんとなくピンとくるような気がして、宝くじが当たるのかもと勝手に思ったりもしていました。
宝くじの当選発表がされた後、当選確認する前に彼に夢の話をして当たってるかもと言っておいたんですが見事外れていましたw
その後も私の風邪はよくならず咳やくしゃみの度に下腹の痛みはひどくなるばかりで、もしかしてひどい病気かもしれないという覚悟をしつつ妊婦さんには悪いけどマスクをして3月末のある日、産婦人科にいくことにしました。
産婦人科での検査前の先生との会話では、風邪と更年期だろうとことだったんですが、内診の結果、判明した衝撃の事実はなんと妊娠4ヶ月に入ったところだということ。
( ̄△ ̄;)エッ・・?
( ̄△ ̄;)エッ・・?
もともと生理不順の上、卵巣機能不全、ホルモン異常などなど言われて、妊娠したかったら通院が必要と言われていた私が妊娠?
もう今年で44歳だというのに妊娠?
今まで8年も避妊せずに彼としてきて妊娠の兆候などもなかった私が妊娠?
つい数日前にも子供ができない話をしていて、お互いにできにくいということで納得していて、どうせ今の世の中に産むのも可愛そうだし、私達2人でいればいいから子供はいらないよという話をしていたのに妊娠?
びっくりしすぎて思考が停止しそうになりながらも、妊娠とは思いもしなかったので風邪薬や抗うつ剤やら漢方とか色々飲んでしまっていたので産婦人科の先生に「風邪薬とか飲んでたんですけど大丈夫でしょうか?」って聞いたら
「そんなの知らないよ~」と返されてしまいました。
病院ではもう4ヶ月に入るので産むか産まないかを次回までに決めてきてくださいと言われるし、なんか色々なことが頭の中でうずまいて、彼が子供はいらないよと言っていたのを思い出してもしかして中絶しないといけないのかとか思って、家についてから自分のお腹に向かって「ごめんねぇ ごめんねぇ」と泣きながら謝っていました。
子供は苦手だと思っていたし、子供がいなくてもいいやと思っていたのに妊娠したと判明したとたん、お腹の子供がこんなに愛おしく思えるとは思わなかったんですよね。
中絶しないといけなくなるかもしれないけど、ものすごく産みたい気持ちが大きくてなんかつらくてしょうがなくて。
なんとか心を落ち着けて彼に報告しないといけないなと思い、不安ながらも彼の仕事場にスカイプチャットで産婦人科に言った話をして、妊娠が判明したことを報告すると中絶とか言われずに産む方向に話が進んだのでものすごくホッとして嬉しさがこみ上げてきました。
私もびっくりしすぎて妊娠が信じられない気持ちが大きかったんですが、彼も相当びっくりしたみたいです。
結局、私が2月3月とひどく体調が悪かったのは風邪も引いてましたが、更年期ではなく(それもあったのかもしれませんが)ツワリが原因でした。
鳳凰と龍が出てきた夢で調べて出てきた繁栄の意味。
金銭的なことだと思っていましたが、子供ができて家族的に繁栄するっていう意味で見た夢だったのかなと彼と後から二人で話し合ってました。
ただその後も高齢で初産での妊娠判明で問題はまだ残っていました。
今日は長く書きすぎて疲れました。
続きはまた今度書いていこうと思います。
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2014-06-22(Sun)
ひそやかに復活
ブログを更新しなくなってから もう3年以上経ってました。
神経をすり減らしたと感じたバイトを2010年1月にやめてから、使ったり食べたり飲んだりしたものの感想はたまに書いていたものの、それすら書けなくなったのが2011年12月。
2011年って3月11日に私の実家がある宮城県も含めて東日本大震災がありました。
ブログではその頃地震について何も書いていませんでしたが、ちょうどその頃はこちら福岡で彼と一緒にJavaシステムエンジニア養成課の職業訓練に通っていました。(Javaを習うのは2回目なんですが、私にはまるで身につかなかったのが悲しいところですが)
地震があったことを知ったのはちょうど休み時間。
実家に電話しても案の定連絡がつかず、津波がきた地域ではないものの1週間くらい連絡がつかないまま心配していたのですが、東京にいる妹に電話してみたところ、地震の次の日には母親の方から妹に両親とも無事だという連絡があったそうです。
なんか、私的にはやっぱりな~って感じでしたね。
何が?って、うちの母親が私に連絡してくる時って大抵金銭的に援助して欲しいときだけだったから。
母親方の祖父が死んだときにも死んでから1週間くらい経ってから教えてきたくらいで、私の存在って後回しなんですよね。
なんかここら辺で私と母親の関係が分かりますよね。
地元には友達もいて、ちょうど津波が襲ったあたりに住んでいた友達もいて、地震のあった時の津波が来た場所なんかも何度も行ったことある場所だったりもして、何がどうなったのか結果を知るのが怖くて、ニュースや映像はネットでチェックしていたのですが、仙台にいた友達に連絡することができないまま年月が過ぎてしまいました。
今は遠く離れたところに住んでいますが、30年以上も仙台に住んでいたのでブログでは触れていませんでしたが地震のショックは結構長い期間引きずっていました。
実は今まで書いていなかったと思うんですが、私、長い間うつ病を患っています。
軽いときと、何もかもやる気がなくなってしまう重い時期を10年以上も繰り返している感じです。
2011年12月にはうちのカラージャービル(スナネズミ)の片割れの部長が死んでしまい、なんかやる気の素がすっかりなくなってしまって、ブログの記事の更新もコメントの返信もしないまま数年が経ってしまいました。
そういうわけでして、コメント頂いたまま返事をしていなかった方々、申し訳ありません。
もう数年経ってしまったんで、改めて返事っていう気分でもないので個別でコメントでのお返事はしていませんが、きちんと読みました。
記事の感想をいただいた方々、ありがとうございます。
リンクやアフィへお誘いの件については、リンクは相互リンクされていないようでしたのでこちらもしていません。
アフィについては今は新しいものは特段考えていません。
今回、なぜブログを復活することにしたのか、それについて詳しくは早い機会に書くつもりでいますが、気力がなくなり何も書けなくなっていた私が、何か発信したい気持ちに心が切り替わったのが大きいです。
また更新が途絶えてしまう気持ちに、いつなってしまうか分かりませんので、ここでひっそりと復活を宣言した次第です。
気になるものや試したものなどについて、以前のように感想を書いていけるといいなと思っています。
それから、リンク友達の中でリンクが切れている人や相互リンクが外されていた人などについて、リンクを整理しました。
結構沢山の方が、ブログの更新が途絶えていたりするんですが、相互リンクになっている人についてはとりあえずそのまま残してあります。
今回はブログを書くことが重荷にならないように、ブログめぐりやコメントの返事、お返し訪問などについては無理にしていかないでいこうかなと思っています。
義務みたいになってしまうとだんだんと苦痛になってくるんですよね。
久しぶりなせいか長くなってしまいました。
とりあえずご報告まで。
神経をすり減らしたと感じたバイトを2010年1月にやめてから、使ったり食べたり飲んだりしたものの感想はたまに書いていたものの、それすら書けなくなったのが2011年12月。
2011年って3月11日に私の実家がある宮城県も含めて東日本大震災がありました。
ブログではその頃地震について何も書いていませんでしたが、ちょうどその頃はこちら福岡で彼と一緒にJavaシステムエンジニア養成課の職業訓練に通っていました。(Javaを習うのは2回目なんですが、私にはまるで身につかなかったのが悲しいところですが)
地震があったことを知ったのはちょうど休み時間。
実家に電話しても案の定連絡がつかず、津波がきた地域ではないものの1週間くらい連絡がつかないまま心配していたのですが、東京にいる妹に電話してみたところ、地震の次の日には母親の方から妹に両親とも無事だという連絡があったそうです。
なんか、私的にはやっぱりな~って感じでしたね。
何が?って、うちの母親が私に連絡してくる時って大抵金銭的に援助して欲しいときだけだったから。
母親方の祖父が死んだときにも死んでから1週間くらい経ってから教えてきたくらいで、私の存在って後回しなんですよね。
なんかここら辺で私と母親の関係が分かりますよね。
地元には友達もいて、ちょうど津波が襲ったあたりに住んでいた友達もいて、地震のあった時の津波が来た場所なんかも何度も行ったことある場所だったりもして、何がどうなったのか結果を知るのが怖くて、ニュースや映像はネットでチェックしていたのですが、仙台にいた友達に連絡することができないまま年月が過ぎてしまいました。
今は遠く離れたところに住んでいますが、30年以上も仙台に住んでいたのでブログでは触れていませんでしたが地震のショックは結構長い期間引きずっていました。
実は今まで書いていなかったと思うんですが、私、長い間うつ病を患っています。
軽いときと、何もかもやる気がなくなってしまう重い時期を10年以上も繰り返している感じです。
2011年12月にはうちのカラージャービル(スナネズミ)の片割れの部長が死んでしまい、なんかやる気の素がすっかりなくなってしまって、ブログの記事の更新もコメントの返信もしないまま数年が経ってしまいました。
そういうわけでして、コメント頂いたまま返事をしていなかった方々、申し訳ありません。
もう数年経ってしまったんで、改めて返事っていう気分でもないので個別でコメントでのお返事はしていませんが、きちんと読みました。
記事の感想をいただいた方々、ありがとうございます。
リンクやアフィへお誘いの件については、リンクは相互リンクされていないようでしたのでこちらもしていません。
アフィについては今は新しいものは特段考えていません。
今回、なぜブログを復活することにしたのか、それについて詳しくは早い機会に書くつもりでいますが、気力がなくなり何も書けなくなっていた私が、何か発信したい気持ちに心が切り替わったのが大きいです。
また更新が途絶えてしまう気持ちに、いつなってしまうか分かりませんので、ここでひっそりと復活を宣言した次第です。
気になるものや試したものなどについて、以前のように感想を書いていけるといいなと思っています。
それから、リンク友達の中でリンクが切れている人や相互リンクが外されていた人などについて、リンクを整理しました。
結構沢山の方が、ブログの更新が途絶えていたりするんですが、相互リンクになっている人についてはとりあえずそのまま残してあります。
今回はブログを書くことが重荷にならないように、ブログめぐりやコメントの返事、お返し訪問などについては無理にしていかないでいこうかなと思っています。
義務みたいになってしまうとだんだんと苦痛になってくるんですよね。
久しぶりなせいか長くなってしまいました。
とりあえずご報告まで。
2011-12-17(Sat)
とうとう・・・
うちのスナネズミ達の話を最近書いていなかったんですが、2匹が喧嘩して小屋を2つに分けてからしばらくたちます。
2009年3月末の記事で小屋を分けた話を書いているんであれから約3年もたってたんですね。
はじめてこの2匹を飼ったのが2008年7月末で今日で3年と4ヵ月半くらい。
最初は見分けがつかなくて名前も適当につけて呼んでいた2匹も、分けて買い始めてから区別もつきやすくなってきてちょっと太めでおっとりした方(でももう一匹の尻尾を噛んで血だらけにした張本人)が「部長」、動きが活発でチョロチョロしていた方が「チョロちゃん」という呼び方に決定。
その「部長」が本日永眠しました。
「部長」だけが、結構前から硬いものが食べれなくなってて柔らかい餌とか砕いた餌とかゼリーとかあげてて、特に彼が可愛がっていたんですが昨日明らかに弱ってて彼が手で温めたりしていたんですが一旦小屋に戻したところ、少ししてよろよろと水飲み場の近くまできて倒れてピクピクしだしたので慌てて彼が抱き上げたんですが、すぐに死んでしまったんです。
スナネズミの寿命はウィキペディアを見ると一般的な環境で2~3年、ペット参考書などでは3~5年となってるようで、できればもう少し長生きしてほしかった。
眠るように死んだわけではなく目を見開いて死んでしまったので、その姿がものすごくショックで目に焼きついています。
うちのマンション脇の植え込みにお墓を立ててあげたのですが、安らかに眠ってほしいと願うばかりです。
「チョロちゃん」の方は、あまりにも元気なので、「部長」が死んでしまったのがまだ信じられないんですが、「部長」の小屋が空っぽなんですよね。
ちょうど掃除したばかりだったので、掃除で余計ストレスを与えてしまったのかと思うと悲しくなります。
もう「チョロちゃん」しかいないので、「部長」の分まで「チョロちゃん」に長生きしてほしいです。
--------------------------------------
2014/6/22 追記
チョロちゃんについて。
チョロちゃんはそれから約3ヵ月後の2012/3/31に永眠しました。
部長の時と違い、死ぬ2日位前まで元気だったんですが、なんかちょっと足元がふらついて見えるなと思った次の日には起きたら横になって冷たくなっていました。
チョロちゃんも部長と同じあたりに一緒に埋葬したので、仲良く成仏してくれていたらいいなと思います。
2009年3月末の記事で小屋を分けた話を書いているんであれから約3年もたってたんですね。
はじめてこの2匹を飼ったのが2008年7月末で今日で3年と4ヵ月半くらい。
最初は見分けがつかなくて名前も適当につけて呼んでいた2匹も、分けて買い始めてから区別もつきやすくなってきてちょっと太めでおっとりした方(でももう一匹の尻尾を噛んで血だらけにした張本人)が「部長」、動きが活発でチョロチョロしていた方が「チョロちゃん」という呼び方に決定。
その「部長」が本日永眠しました。
「部長」だけが、結構前から硬いものが食べれなくなってて柔らかい餌とか砕いた餌とかゼリーとかあげてて、特に彼が可愛がっていたんですが昨日明らかに弱ってて彼が手で温めたりしていたんですが一旦小屋に戻したところ、少ししてよろよろと水飲み場の近くまできて倒れてピクピクしだしたので慌てて彼が抱き上げたんですが、すぐに死んでしまったんです。
スナネズミの寿命はウィキペディアを見ると一般的な環境で2~3年、ペット参考書などでは3~5年となってるようで、できればもう少し長生きしてほしかった。
眠るように死んだわけではなく目を見開いて死んでしまったので、その姿がものすごくショックで目に焼きついています。
うちのマンション脇の植え込みにお墓を立ててあげたのですが、安らかに眠ってほしいと願うばかりです。
「チョロちゃん」の方は、あまりにも元気なので、「部長」が死んでしまったのがまだ信じられないんですが、「部長」の小屋が空っぽなんですよね。
ちょうど掃除したばかりだったので、掃除で余計ストレスを与えてしまったのかと思うと悲しくなります。
もう「チョロちゃん」しかいないので、「部長」の分まで「チョロちゃん」に長生きしてほしいです。
--------------------------------------
2014/6/22 追記
チョロちゃんについて。
チョロちゃんはそれから約3ヵ月後の2012/3/31に永眠しました。
部長の時と違い、死ぬ2日位前まで元気だったんですが、なんかちょっと足元がふらついて見えるなと思った次の日には起きたら横になって冷たくなっていました。
チョロちゃんも部長と同じあたりに一緒に埋葬したので、仲良く成仏してくれていたらいいなと思います。